五十にして天命を知る?イメージ

執筆者: 山田 順規

五十にして天命を知る?

ア・ラ・カルト

先日、以前勤めていた会社の同僚や先輩4人と食事をする機会があった。年齢は50歳手前から中頃で、社会人としてはシニアといわれる世代の連中である。久しぶりの再会だったが、全員ほとんど変わっていない。まあ、人間いくつになっても本質は変わらないという話ではあるのだが、同僚がポツリと、
「若かりし頃の50歳といえばすごい大人だと思ってましたけど、自分がいざ50歳に近くなってみるとまったく子供なのでいやになりますよ」
とつぶやき、みんなで「同感!」とそれぞれの仕事や家庭の悩み話で大いに盛り上がった。

 

40歳は「不惑」、50歳は「知命」と言われている。「不惑」は、「四十にして惑わず」=人生の方向が定まって迷わなくなる年の意。「知命」は、「五十にして天命を知る」=天から与えられた使命を知る年の意。孔子の教えを再確認し、不惑どころか50歳になっても仕事や家庭のことで日々悩んでいる我々は何なのか?ますます悩みを深めてしまうのである。

 

それはさておき、企業にとっては50歳以上のシニア社員にどのように働いてもらうのかが、大きな課題となっている。ご存知のとおり、改正高年齢者雇用安定法により、雇用の継続を希望する労働者のすべてに対して、65歳までの継続雇用が義務づけられた。いわゆるボリュームゾーンにある社員が継続的に65歳まで働くことになるため、モチベーションや生産性の低下などを懸念しているのである。人事制度の再構築や研修の実施など、あの手この手と施策を打ち始めており、50歳はちょうど節目ということで、キャリア研修を実施する会社が増えている。

 

では当の50歳社員達はどうだろう。将来についてどのように捉えているのだろうか?
いつも感じるのは、今の50歳は若々しい人が多いということだ。服装や髪型など見た目は明らかに若い。話をしてみると考え方や感覚も若い。しかも悩みながらも仕事をがんばっている人ばかりで、「気軽に老後の生活を・・・」などと考えている人は皆無である。
一方で、多くの人は将来について正面から向き合っているとは言いがたいのも現状である。研修をきっかけに「これから真剣に考えます」という感想が多いのに驚くこともある。
余命30年、いや今後は40年に近づくだろうから、50歳にして人生の後半戦をどう生きるか、どう働くかを新たに考えることが本当に必要な時代なのである。もし新たな道を選ぼうとするならば、やはりその前から常に考えておくことが必要ではないだろうか。

 

「四十にして惑わず」「五十にして天命を知る」孔子の教えは、50歳で使命を知り、新しいことを始めるのだ、そのための準備を40代でやっておけ。そんな風に言っているように思える。
ということを書きながら自分自身を励ましているのではあるが・・・。

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